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<続き>







国指定名勝・御室桜





言わずもがな京都一有名な桜、「仁和寺の御室桜」。京都一の遅咲きとして知られる。



江戸時代から北野の平野神社と並び、洛中随一の花見の名所として著名であったらしい。



桜の品種は八重の「有明」。全て三百年以上の老木で、背丈が低く横にぶわっと広がった樹形が特徴。



この樹形をして、京都人のジョークで御室桜は京都の女に例えられるそうですが要は「ブス」ってことらしい..........



何故このような背の低い桜が密集しているのか?この地の岩盤が硬いせいで深く根を張れない為と言われているが確かなことはわかっていない。







しかしまあこれが狭い散策路の混み具合が半端なかった..........



特に五重塔と桜を同時に収める事ができる場所のカメラマンの取り合いが大人の見苦しさ丸だしというか...........



おっさんアマチュアカメラマンのマナーが悪いのはどこでも同じだが関西は特に酷いように感じられる。



呆れて後ろから眺めていたら現地人と思われるお兄さんが



「消えるもんでもないし、こんな必死になんなくてもええやん、なぁ?」



と喋りかけてきた。



同意ですがもう少しオブラートを..............







根元を見ると本当に不思議な生え方をしている。こんな桜、此処でしか見れない。







背丈が低い分、眼前真近にぶわっと花が広がって見える。
 
 
 




花はソメイヨシノよりも大分大きめでより白い。



咲き方はヤマザクラのような感じか。







御室桜のほかに品種も豊富な仁和寺の八重桜。



ソメイヨシノがほぼ散ってしまってもまだまだ花見が楽しめる。







こちらでも紅枝垂れが満開。



<続く>

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京都に遅咲きの桜を求めて



ソメイヨシノばかりの東京と違い、京都は桜のバリエーションが圧倒的に多い為本当に長く花見が楽しめる。



この間、遂にという感じですがようやく仁和寺の御室桜と常照皇寺の九重桜を拝むことができた。



その記録。







世界遺産


特別名勝



龍安寺石庭





有名過ぎてもはや説明不要の龍安寺の方丈庭園。最も有名な枯山水庭園。



何か日本よりも海外での人気が高いというか、サルトルが絶賛したことやエリザベス女王の訪問により知名度向上に拍車をかけたのだろうが、海の向こうでは禅の精神を象徴する庭という風に解釈されているらしい。







「あ、石庭が笑ってる」の文句でJRのポスターにもなった紅枝垂れとのショット。



.........何か花の数少なくないかな? 葉桜になってる訳でもないから散ってる感じでもないけど.........



以前五部咲きくらいの時に来たけどもっと花の数多かったと思う。







龍安寺の石庭で特徴的なこの横の塀。屋根の角度が斜めになっていて方丈の廊下から石庭をみたときに庭を大きく見せる視覚的効果があるという。







満開の桜林の紅枝垂れ。



龍安寺は京都の中でも桜が遅い方だがこの時期、最も開花の遅い紅枝垂れが正に見ごろとなっていた。







やたら大きい花が目に付いたがこれはツツジの一種か?鮮やかなライトピンク。







龍安寺といえば石庭が有名過ぎて忘れがちなのだが鏡容池を中心とした庭園。



こちらも名園で国指定名勝に指定されており、江戸時代には石庭よりもこちらの方が有名であったという。



太っ腹の龍安寺、石庭は拝観料を取るがこちらと桜林は無料です。



これからメインの仁和寺へと向かう。







世界遺産



御室仁和寺





皇室ゆかりの真言宗御室派総本山。



御室桜は「満開」の表示。ソメイヨシノと枝垂れ桜が満開の時と紅葉の時は来たことがあるが御室桜が満開の時は初めて。







芽吹きだした新緑とミツバツツジが美しい参道。



奥に見えるは仁和寺金堂。元は寛永年間に御所から移築された紫宸殿で現存する旧御所の建築としては最古クラス。国宝。







満開のミツバツツジと金堂。







五重塔。



江戸時代に建立された復古様式の塔。すらっとした美しいフォルムで近世の塔としては優作とされるが醍醐寺の五重塔などに比べるとやはり少し劣る。







鐘楼。



枝垂れ桜とセットでよく写真にとられるが流石に枝垂れは散り気味。







参道の横にはいよいよお目当てとなる「御室桜」の林がある。



<続く>



山陽旅行その15



広島県・御調八幡宮







最終章。



旅行最終日、千光寺公園の桜の満開情報が出ていたので本当は尾道に行きたかったのだがこの日の広島は朝からの雨、そして冬が戻ってきたかのような寒波でとても観光どころじゃなかった。



しかしせめてどこか行こうということで三原のやや山奥に入っていった桜の名所・御調八幡宮(みつきはちまんぐう)へと向かう。







兎に角アクセスが悪い場所にある為、一般の観光客は少ない模様。



「西の吉野」とも呼ばれているらしい古来からの桜の名所で三原藩主も度々訪れていたという。



見事ないくつかの枝垂れ桜の老木は藩主浅野家代々によって植えられたものという。



「西の吉野」は流石にオーバーだと思うが桜は中々綺麗。







晴れて青空が見えていれば桜も更に綺麗だったのであろうがこの日は生憎の雨。



しかし霧を吹いた山々と桜の風情もこれはこれで。







社殿。



周囲はシイの天然林に囲まれており、中々風格がある。



随神門前の石段の両脇に群生しているサツキは三原藩主浅野忠綏によって植えられたものだそうで老木の風格あり、花季は相当見事なものであると思われる。







早朝の小雨の中の誰もいない神社というのもまたいい。



しかし尋常でないくらい寒かった。







山間の神社なので桜の開花は遅め。



自分が訪れた段階で枝垂れ桜は満開、ソメイヨシノは八分咲き、紅枝垂れが五分咲き。







秀吉が三原城を訪れた際、ここにも立ち寄ったそうで境内に秀吉手植えの枝垂れ桜の切り株があると聞いていた。(現在は枯死)



案内板がどこにもなかったのでどれなのかわからなかったんですがこれか?







近くの民家にて。



エドヒガンだろうか?見事な樹形の桜があったので思わず目を引いた。







三原の駅前のある三原城天守台。



駅前というか、ほぼ駅と一体化していてびっくりする。



三原城の保存状態は良くない。この天守台と他に堀や石垣の一部が駅周辺に残るに過ぎない。



小早川隆景による築城、創建当初は厳島神社のように海にせり出した城郭構造で満潮時には海上に浮かんでいるように見えたという。



その姿から「浮城」の異名を持ち、大変美しい城であったそうですが次第に海の干拓・市街地の拡大が進行しその姿は失われたという。


<続き>


山陽旅行その14



広島県・竹原3







西方寺から市街地に降りる道。映画のロケに使えそう。







小雨が降る.........



この日は晴れたり曇ったり雨が降ったりと忙しい。イギリスみたいな天気。







中に入ることが自由だった古い商家の二階の天井の梁。



もう芸術品。木材を知り尽くした匠であるからこそ出来る技。







古民家カフェなども見受けられたが、このような街並みに調和したデザインのお洒落カフェも存在する。







森川邸。竹原の塩の豪商の邸宅。



他所から移築したという母屋もさることながら、庭園の美しさも特筆もの。



正に小京都。







松阪邸。



こちらも竹原の代表的邸宅の建築。菱形の格子の窓が目を引く。



庭園からは普明閣を見上げることができる。







連続する春風館・復古館。



共に幕末期の数寄屋造建築で国の重要文化財。



この路地は竹原で最も美しいと思った。


<続き>



山陽旅行その13



広島県・竹原2







竹原の街並み集。



白壁の家々よりも壁面が黒く塗られた家を多く見かけたがこの地方の伝統だろうか。







西方寺。竹原を訪れた人は必ず行くという高台にある浄土宗の寺。







西方寺で有名なのがこの普明閣。竹原のシンボル。



京都の清水寺と同じく、舞台造りの建物。







普明閣から竹原の街を見下ろす。







こちらは瀬戸内海方面。



山陽は本当に山あり海ありという地形だということを改めて思い知らされるがそれがこの風光明媚な土地柄を示している。



<続く>


<続き>


山陽旅行その12



広島・呉2~竹原







あきしお内部。



兎に角   狭い。



映画Uボートを思い出すが........あれはディーゼル潜水艦か。



小さい子が随分と楽しそうだったが子供はやっぱこういうの好きですね。



これにて呉は終了。同日中に竹原に移動する。







竹原。塩田開発により栄えた商人の町。



「安芸の小京都」の異名を持つ美しい古い町並みが残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。







はっきりいって想像以上。



選定地区の規模や古建築の密集度・京都の西陣にも通じる風格ある街並み。高山や倉敷に匹敵する。



観光客もそれほど多くなく、適度に普段の生活感が漂っているのもまたよい。



<続く>


山陽旅行その11



広島県・呉







旧海軍の軍港があった海軍都市。最近だと映画のロケにもよく使われる。



ここにあった海軍工廠では戦艦大和をはじめ数々の軍艦が造られ、故に戦艦大和ゆかりの街として観光PRをしている模様。



しかし呉駅降りた途端にホームのBGMが「宇宙戦艦ヤマト」だったのには正直笑ってしまったが。(そのヤマトは違うだろう)







「歴史の見える丘」から見下ろす呉港。かつては軍船で溢れかえっていた。現在でも海上自衛隊の基地がある。







近くまで行くことはできないが呉の観光名所の一つ、戦艦大和を建造したドック。







呉を訪れた際、正岡子規が詠んだ句碑。







このノスタルジックな建物は旧呉鎮守府庁舎。現在でも現役の海上自衛隊庁舎。







入船山記念館。旧呉鎮守府司令長官官舎。



この奥に重要文化財にも指定されている官舎の洋館があるが今回は時間がなかったので見学せず。







瀬戸内海のブルーが迫る呉の港。前方を航行しているのは海上自衛隊の艦船。







呉を代表する観光地・大和ミュージアム。



資料展示などを通じて軍港・呉の歴史や戦艦大和を紹介するミュージアムだが目玉はこの巨大な大和の模型。







大艦巨砲主義の最後を飾る世界最強最大の戦艦。



艦隊戦でぶつかりあえばその強力な砲・分厚い装甲で向かうところ的無し.........のはずだったが。



登場した時代が悪過ぎた。既にこんな巨艦など時代遅れの巨大な棺桶に等しく、海戦においては航空機・空母を用いた機動作戦が主軸となっていた。



皮肉にもマレー沖海戦で英海軍の誇る不沈艦・プリンスオブウェールズを撃沈し航空機の圧倒的優位を証明したのは日本海軍であったはずなのに............



当時の軍部の頭の固さ・先見性のなさを見るに、太平洋戦争は起こるべくして起き、負けるべくして負けたとしか言いようがない。







もう一つの目玉・零式艦上戦闘機。(本物)



所謂ゼロ戦。最近何かと映画での登場が多い。



これは正直かなり格好いい。登場した当時は世界最強の戦闘機であったという。



「艦上戦闘機」であるため本来であれば空母と合わせた機動作戦に用いられてこそその真価を発揮する機体であったが大戦初期の段階で日本軍の空母はその殆どが沈められてしまった為、後半には特攻機として使われた悲劇の戦闘機。



大型の展示には他にもかの「人間魚雷」等もあるが........  乗り込んだ青年士官の遺言の録音テープが生々しすぎて少し怖い。







巨大な砲とスクリュー。大和のものかと思ったら「陸奥」だそうです。大和のものはもっと遥かに巨大。







砲とスクリューの後ろに見えているのは潜水艦・あきしお。



呉のもう一つの観光名所・海上自衛隊呉資料館の入口にあたる。







こちらの博物館は海上自衛隊の歴史等について色々と解説しているが.............



正直あまり興味ある内容ではなかった........好きな人は好きなんだろうけど。潜水艦好きな人とか。(でもまあ入館無料だし)







展示艦からあきしおの中に入る。



<続く>

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