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自分を卑下することを目的として他人を無駄に過大評価する必要はないが



自身を客観的に見る為にも相手がたとえどんな人間であれ、敬意を払う事を忘れぬように



と最近ではよく思う。



昔の同期の集まりなどで 「随分と変ったね」 と言われることが年々増えてきたが...............



寧ろ 「人」 にしても 「環境」 にしても、毎回周りの変化に圧倒されっぱなしの自分なんですが。そうと言われれば気が付かないような、さり気ない仕草などからもわかるような。



僕なんて全然変わってないですよ。今も昔も、初対面の人間の約10人中9人から 「変わり者」 と言われておりますが。



.......................ところでポール・マッカートニーのチケット取ろうと思ったのだが、とても取れそうな気がしない。



なんですかあのアホみたいな先行の倍率。既に業界関係者ですらチケット確保に血眼になっている有様だとか。2002年の来日行ったけどもっと普通に取れたけどな。



前回の来日から10年以上のブランクがあること、最後のワールドツアーと言われていること、最新デジタルリマスターの発売によるビートルズへの関心の拡大等理由は多々あろうが。


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束の間の晴れであったり、曇ってきたり雨が降ってきたり、何とも忙しい天気の横浜。



今年の夏はどうも晴れ間が少ないように思われる。今年の紅葉はどうやら外れになりそうな勢い。



ところでみなとみらいのことを指しているのであろうが横浜をして「東京より都会だよね」とか言い出す人がたまにいるが。



どうも生活感無くて街の機能を表面上酷使している感もない、みなとみらいのこの局所的で空虚な小奇麗感(即ちハリボテ都市的なテイスト)を横浜全体のイメージとして語るのも如何なものかと思う時が多々ありますが。







現在横浜美術館にて開催中のプーシキン美術館展。震災により開催が大幅に延期されていたが晴れて日本でお披露目となった。



プーシキン美術館といえばエルミタージュと並びロシアが誇る世界的美術館。印象派・ポスト印象派を初めとするフランス絵画のコレクションに定評があるだけあって今回の展覧会も「フランス絵画」がテーマ。(にしても「プーシキン美術館」とかあんたらどんだけプーシキン好きなんだよって感じだが。ツァールスコエ・セローも「プーシキン」に改名してしまうし)



ヨーロッパの東の果てにこれだけのフランス美術のコレクションがあるのを意外に思う人がいるかもしれないが昔のロシア人って超フランス被れだったんですよ。ロシア文学とか読んでいるとよく日本人の目には違和感として目に付く点ではあるがロシア貴族の公用語・教養を示す洗練語はフランス語であった。



元々ビザンチンの文化圏であるロシアは宗教は同じでも西欧とは基本的に根底の文化的潮流が異なる。近世以後、強国として台頭するにつれ西欧の進んだ文化を盛んに導入、そうしてロシア人の西欧コンプレックスの集大成として作られたのがあの超ロシアっぽくない街・帝都サンクトペテルブルグである。



しかしそのような西欧に対するコンプレックスは19世紀以後、農奴解放令・共産主義の台頭といった時代の流れの中で知識人たちに思想としてのロシアの民族的アイデンティティの模索というテーマを投げかけることとなり、ロシア文学の黄金時代を築くことになる訳だがそれはまた別の話。



(ところでまったくの余談なのだがヨーロッパの宮殿の外壁の色って薄い黄色やピンク、白、或いは石材のそのままの色といった具合に基本パターン化しているのだが現在では美術館等に転用されているロシアの宮殿は例外的に緑やら青やらやたら派手な色遣いが見える。最近知ったんですがあれって元の色ではなくていい加減な修復作業の結果なんだってね。即ちロシア革命で荒れ果てたり、第二次大戦でドイツ軍に破壊された歴史的建造物を考証無視で「こうすれば綺麗じゃね?」的発想で戦後修復を繰り返してきた結果らしい。ロシア的おおらかさというか、でも冬宮の緑と柱の白のコントラストは中々綺麗だと思っていたのだが。)




この展覧会、兎に角



・アングルの「聖杯の前の聖母」

・モネの「陽だまりのライラック」

・ルノワールの「ジャンヌ・サマリーの肖像」



この三つを見るだけでも足を運ぶ価値があります。よくこれだけあれだけ膨大な収蔵品の中の代表作を貸し出してくれだなと思うばかりだが。



他にもドラクロワ、ミレー、ドガ、マネ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、マティス、ピカソ、ルソーと絵にあまり詳しくなくても誰もが知っていると思われる画家の作品が目白押しなので楽しめると思われる。個人的にドニの出展作が素敵で暫し見入ってしまったのだが。



まあメインは近代絵画だが.........  日本人・現代人には馴染みにくいテーマ・こてこての様式美に支配されたアカデミックなバロックやロココ、新古典主義よりも近代絵画、即ち印象派の色彩豊かで明るい絵の方が親しみやすいに決まってるよな。



新宿の紀伊国屋のタリの横で。所謂なんだ、作者を囲む会?的な?サイン会のような類ではないし招かれていたのは特別著名な作者という訳でもないらしい。



詳細はよくわからないが早稲田生(或いは卒業生だったかもしれない)という若い作者が出版社関係者同伴の上で自身の本についてマイクで語っていていくらかの人達が用意された椅子に座って彼を囲んでいる。



本に関しては最近多いといえば多い、物書き素人が手初めに書き始めるような類のあれだ。自身の「旅」をテーマにしたうえで(時に妙に時代遅れでベタなコスモポリタニズム臭漂う語り口で)自分の思想を垂れ流しているような部類。



いや、ごめんなさい。立ち読み程度でよく読んでないけどおそらくそのようなものであるとすぐわかるレベル。取りあえずあまり深くはないライトな読み物と言ってしまえばよい。



............まあそのような座談会をやっていて時間があったから僕も少し聞いていたんですよ。



インタビューコーナー?に移り、一人のおっさんがマイクを持つ。



いきなり激昂して





「これね、この本ね、今少し読んでみたけど空っぽだよ、空っぽ」

「こんな便所の落書きでよく本出そうと思ったな!勉強しろよ!大学で勉強して出直せ!アホ!文革についても正しく理解できてねえじゃねえかよ」

「あんた恥ずかしくない?特に何が出来る・何をした訳でもないのにこんな中途半端な本出してさ、こういう場で素人相手に偉そうにベラベラ語っててさ」

・スタッフが止めに入る

「ああ?意見聴きたくないんだったらこんなもん開くんじゃねえ!馬鹿野郎!」





「そこまで言うか」という感じではあったがこういう場でここまで相手の面子叩き潰すようなことを大人気無くまくしたてるおっさんってどうなんですか?モラルハザードな感を覚えないことも無かったぞ。



この作者も作者でここまで下劣に公衆の面前で侮辱されてせめて喧嘩を返すまでいかなくとも一言論理的口調で切り返すとか、或いは聴きあう価値なしとして涼しい顔で流すなりすれば多少なり大物感を漂わせたのであろうが、(一応物書きだろ?)苦笑いしながらいちいちへーこらしてるだけでその見っとも無いアホ面には本人の内面的な小者臭はおろか実体的なプライドもない作品の内容そのものも象徴しているかのようであった。



しかしまあおっさんは言い過ぎだったが..............   言わんとすることが分からないこともない。



最近の本屋の新刊コーナーとか近寄るのも汚らわしさを覚えるからな。



他人のナルシシズムに金を落とし、更に内容に付き合って時間まで浪費する。狂気の沙汰だ。



書き手もそうだが消費者たる読み手も読み手で一つの書物を前に「考える自分」という読み手本位の身構え・意識が欠けている様に思われる。現代人は「勉強・学習すること」を知識を蓄財しようとする際にさえ、そのプロセスを合理性の名のもとに放棄することを覚えてしまったかのようである。



だから膨大な情報量としての膨大な出版物群が氾濫する中でアンポンタンが書いた空虚な内容のアンポンタンな本がアンポンタンに売れ続ける構図が無くならないのだ。



(ところでビジネス本にしろ何にしろ近年よく見る要点がいちいち太字で強調されている類。読み手の思考能力を真っ向から馬鹿にしすぎでないか?あの程度の本しか読めない程度の理解力・情報処理能力しか持たぬ人間とか「合理性」以前になにやったって駄目だろ)





二ヶ月くらい前だったかな?



吉祥寺の井の頭公園で神社が放火にあったというニュースを耳にしたが実際に行ってみると本当に黒コゲだった。(最近多いね。神社への放火。)



神社というか祠を少し大きくした程度の規模だが。弁財天から池を挟んで対岸にある小さな神社なので存在自体知らないというか気が付かない人も多かったかもしれない。



しかしまあ、無知と言うか怖いもの知らずと言うか。随分とやばいところを放火したもんだ。



お稲荷様だぜここ..........  本当に日本人の仕業か?



人も多く開放的で明るい井の頭公園の中でも木立に隠れたここだけは少々異質な雰囲気が漂っていたように思う。







久々の井の頭公園だったが暑過ぎず。晴天。



↑の二枚目。数年前までは弁財天と二つの噴水が写るビュースポットだったんですがいつの間にやら木立に隠れてしまった模様。




ところで相変わらず 「住みたい町ランキングナンバーワン」 の吉祥寺であるが



いつも思うんだけど徒歩エリアのコンパクトな空間に取りあえず「何でもある」ってだけで特別此処でなければならぬって要素はあまりないよな。



観光地的なものは確かに豊富といえば豊富...............



だけどなんだろう、なんかごちゃごちゃし過ぎてて小粒というか........  これはサブカルタウン特有の雰囲気と見るべきか?




母上様と



姉上様と(久々だったのでまた腹にひざ蹴りくらうかと思ったが。おっかない人なので。)



銀座で食事。気が付けば家族で食事ということ自体がもう非常に珍しい。




...............「人間観察」なんて表現用いると少々卑しい感じがするか。



鉄板焼き<三笠会館>だったので「箸」がメインであったのだが。



食事のマナーは当人のある内面を無意識のうちに残酷なまでに暴露するものだが「箸の持ち方」っていうのは目立つが故に最も如実に、わかりやすい形でそれらを表面化させるポイントであると思われる、て言うか思う。<日本人は。箸の持ち方って文化。>



美しくない箸の持ち方<即ち人差し指の第一関節と第二関節の間辺りから親指が不自然ににょきっと出てるようなの>は人間の品位を表す......とか流石にそこまでは言わないけども。



ある種の人間的特性は瞬く間に見分けられる。一瞬にして取り繕われた「装甲」を尽く引っぺがし、素っ裸にする。





参院選を前に



この間、維新の橋本さんが我が地元に遠征においででした。



人込みの中少し立ち聞きしていたが演説内容は例の慰安婦問題発言について。



色々と議論を醸した事例ではあったが まあ、正直橋本さんを露骨に敵視する朝日・毎日をはじめとした左翼マスコミの偏向・過剰報道が火種を大きくした側面があるにしろあながち間違った事を言っていたとは思わないが.........



山口二郎を生放送で徹底的にぶっ叩いたあの他の追随を許さぬ圧倒的なディベート能力・頭のキレといい、政治理念・信念を前面に押し出してそれまでのタブーに切り込み憎まれ役だろうと買って出てやろうという意気込みといい、評価できる側面が多く見受けられることは確かなんですが。



この人の場合、手腕以前に政治センスを少し疑う所があるというか後々の影響を考慮して言っていいことと悪いことの区別くらいつけなさいよ(オブラート!貴方はタレントじゃない、政治家である)と思うことが度々ある。慎太郎が陰で苦労している様が目に浮かぶ。




ところで詳しくは割愛するが 「従軍慰安婦」 なんてその定義からいってもこんな研究するまでもなく客観的な物証のみで捏造であることがあからさまに証明できる事例が何故現在まで尾を引いて此処まで問題になるかね?



韓国の民族主義的反日イディオロギーと国内の戦後左翼の結託・台頭の流れの中で生み出されたもはや古カビが生えてきているような用語だ。聞くのも汚らわしい・卑しい。



近年露骨に活発化しているが韓国政府の国策として、国内・海外の韓国系市民団体が米地方議会等を巻き込み「従軍慰安婦」とやらを『ナチスによるホロコーストと並ぶ蛮行』として祭り上げ、その「韓国政府の見解・歴史認識」を国際的に広めようと組織的にロビー活動を展開している事はよく知られ始めている。



橋本さんの例の発言もこのような流れの中で捉えるべきものであることが当然であることは言うまでもないことであると思われるが...........  「このような流れ」って表現も少々あれか。



慰安婦関連なぞ氷山の一角に過ぎず、李明博前政権末期から現在に至るまで、恐らく息詰まり始めた自国の経済状況等背景は多々なのであろうが国家元首ともあろう立場の人間による竹島上陸・天皇陛下への空前絶後の非礼発言を発端・頂点にお隣の国の反日ブーストが各方面で過去に例がない程とんでもないことになっているな?



此処最近の傾向としてより明確な形で日本を「敵国」とみなし始めている。



あの国の反日傾向は........巨大な上に複雑怪奇・一党独裁体制の下に世論コントロールの手段として施行されている中国の盲目的な反日教育・反日感情とはまた違い、コンパクトで単純なだけ民族主義的な傾向が強く、故に禍々しさが露骨に感じられることが多いのだが(だからネット上などではネタとして扱われることも多い)................



こういうこと言うとある種の方々からは「ネトウヨ」と言われてしまうのでしょうか。 見ないふりを決め込むのではなく、あからさまな「敵」を認識する事は罪なことかね?



いくらなんでも日本は舐められ過ぎですよ。


 





「音楽はボクシングのようなものだ。常に前に進まなければならない」



とはマイルス・デイビスの言葉。



ポロックはアクション・ペインティングによる大胆な画風を確立したと同時に、名声もろともそれを破棄。



新たな画境を求めて試行錯誤を繰り返すが迷走、自身の創作活動の限界に突き当たってしまう。





思えばポロックの作風も本質からいって実に「ジャズ」っぽい。



一見色彩と模様のカオスのように見えても全体を見たときのあの何とも言えない調和。<煩くない>



彼のポーリング・ドリッピングは実に細部まで計算されていて「偶然性」というものに頼ってはいない。



偶然性を追い求めた一部のシュルレアリストとは似ているようでポジションが異なるようにも思う(フロッタージュ等の技法を多用したエルンスト等)





ジャクソン・ポロック展にようやく出向けました。(来月六日まで)



改めて 「よく開けたな」 という感じのこの展覧会。



ポロックの全時代の作品がこれだけ一同に集まる機会なんて世界中でもそうないだろう。



特に絵画以外のオブジェ等を含めた初期の貴重な作品がこれほど紹介されたことは日本では今までなかっただろうに。



しかも洋書の画集などで見たことのある有名作品もポツポツと。




必見。


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(本日)のStones Throwのパーティーが楽しみ過ぎる。(ジェイ・ロックとMED)



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